あなたは「走馬灯」体験があるだろうか?
「走馬灯」…死を覚悟した時に現れる
走馬灯とは、内外二重の枠を持ち、影絵が回転しながら写るように細工された灯籠の一種。回り灯籠とも呼ばれる。中国発祥で日本では江戸中期に夏の夜の娯楽として登場した。俳句では夏の季語となっている。現代我々はその本来の意味として使うというよりは、「走馬灯のように思い出された」のような表現で使うことの方が多い。
人が死ぬ間際、あるいは非常に危険な場面に晒された時などに、これまでの人生の記憶が蘇ることを言い表した比喩表現である。死を覚悟するほどの危険に瀕した状況や、感情が揺さぶられるような極限の状態になると、脳裏に深く印象に残った過去の記憶が次々と映写されているように蘇ることがあるといわれている。その現象が、「走馬灯」の回転しながら次々と影絵を見せる仕組みに例えているのである。この現象は平たくいえば、死の直前に「人生をダイジェストのように振り返る」ということも含んでいる。
能の記憶を総動員
走馬灯体験が起こる理由としては、人は死の危険に直面すると助かりたい一心でなんとか方法を脳から引き出そうとするために記憶を総動員して映像的に一気に蘇るとされ、アドレナリンが分泌されて脳に変化をもたらして記憶を蘇らせるなどとも考えられている。
僕は「走馬灯」がよぎらなかった
僕自身、「走馬灯」のような体験をした記憶は幸いにもない。何度となく危ない目にはあっているがその経験がない。小学生の頃畑の中の細い道を家に向かって自転車で思いっ切りこいでいて、急にそれと直行する大きな道にそのまま出たことがある。もし車が来ていたら完全にひかれていたが、幸い車は来なかった。
直行する道の先には家の壁が迫っていて、僕は当然のごとく前後のブレーキをかけた。利き手の右(前輪側)の方が強かったのか、前タイヤがロックして後ろタイヤが浮き上がった状態で見事に空中一回転して壁の直前で道に自転車と共に落ちた。一瞬の出来事だったが、多少は時間がゆっくりと感じられ、一回転している感覚はしっかりとあった。後から思い起こしても「走馬灯」はよぎらなかった。逆に言えば、「走馬灯」がよぎる時間さえもないくらい短い時間だったのかも知れない。
「走馬灯」と脳波の研究
「走馬灯」は科学的にも証明されている。カナダのある研究チームが2016年、87歳のてんかん患者の男性の脳波を計測中、予期せず心臓発作に見舞われて死亡、その際の脳波も記録されていた。その記録には死ぬ前後の30 秒間に、男性の脳波に夢を見ている時や、記憶を呼び起こしている時と同じパターンの脳波が確認されたという。こうした脳の動きが、人が最期の瞬間に「走馬灯」を見ることを示唆してると2022.2.22に発表された論文で説明している。
さらに、前後するが2013年にアメリカで行われたネズミを使った実験では、てんかん患者と同じく、ネズミの心臓が止まってから30秒間、強い脳波が観測されたという。この類似性は「驚くべきものだ」と論文の共著者であるゼマール博士は述べた。人間についてのたった一つの症例が命が終わる瞬間をめぐる他の研究の扉を開いてくれるかも知れないと期待している。
人生で経験した最も素晴らしい瞬間
これらの研究は、死をそれ程恐れるべきではないということを教えてくれるのかも知れない。愛する人が、今まさに目を閉じて自分たちの元を去ろうとしている今際の時、悲しみに暮れる私たちとは対照的に、その人たちは幸福感に包まれているかも知れないのだ。こうした人々の脳は、人生で経験した最も素晴らしい瞬間を思い出しているかも知れない。
(参考:BBC NEWS JAPAN 死の間際の「走馬灯」、実際の可能性 脳波が示唆=カナダ研究 2022.02.24)
(参考:WIRED SANAE AKIYAMA SCIENCE 2022.03.17)